昨年(2019年)末に、早稲田大学グリークラブの客演指揮をさせていただいた際のYouTubeが公開されました。寺山修司 作詩、三宅悠太 作曲「修司の海」。同合唱団の委嘱作品、初演です。
男声合唱とピアノのための『修司の海』 (作詩・短歌/寺山修司 作曲/三宅悠太) [委嘱] 早稲田大学グリークラブ [初演] 2019年12月7日 東京芸術劇場コンサートホール 早稲田大学グリークラブ第67回定期演奏会 指揮:相澤直人 ピアノ:渡辺研一郎 合唱:早稲田大学グリークラブ
手前味噌ではありますが、私の様々な2019年の舞台の中で、快演・最高の演奏のひとつに間違いなく数えられます。受け継がれるパワーと音楽に対するひたむきさに加え、しなやかでたおやか、憧憬と嫉妬や絶望といった世界をも表現したワセグリの皆さん、自分だけでは入ることの出来ない、とてつもない世界へ誘ってくれたピアニストの研ちゃん(渡辺研一郎さん)、本当にありがとう。
“研ちゃんピアノ”こと渡辺研一郎さんのピアノの、極めて繊細な響きに終始支えられた初演。終曲「かなしくなったときは」の前奏のある部分では、研ちゃんが遠い星を見つめてそこから音を引き寄せているような視線と美音が…何度見ても鳥肌が立ってしまう瞬間です。
作曲家・三宅悠太さんのTwitterより
たくさん三宅さんの作品に触れていますが、「修司の海」は自分の音楽人生の中でも最も大切な作品、愛する作品のひとつとなりました。特に4曲目「サンゴ」から終曲「かなしくなったときは」に私の内側から溢れる感情は、この音楽と一体となり、だからこそ「言葉では表現できない」感情です。喜怒哀楽のどれにもあてはめられないこの思いこそ、音楽をする、生演奏をする、聴いていただく理由なのだと確信します。
最後に、Facebookに寄せている、三宅悠太さんの曲目解説(2020年9月末にカワイ出版より刊行予定の楽譜のまえがきからの引用だそうです)を引用させていただきます。
「海」は彼の原風景なのだろうか――寺山修司の全集を手に取り数多の詩句に接していると、描かれる孤独に、憧憬に、追憶に…いつも「海」がある――彼の言葉に感化され、誘(いざな)われ、やがて音楽の律動が生まれ、この「海」をテーマにした全5曲から成る男声合唱組曲が完成した。早稲田大学グリークラブの2019年委嘱作品である。
Ⅰ.海を知らぬ少女の前に/かなかな
組曲のプレリュードとなるのは、修司が15歳の時に綴った短歌。言葉から溢れる瑞々しい青春の広がり…そのエネルギーを全身に浴びるような音を紡ぎたいと思い筆を進めた。切れ目なく演奏される後半の「かなかな」にも少女が登場する。病床の少女と、薄命を燃やし啼いている蝉との共存。修司の言葉はあまりに美しい。
Ⅱ.半分愛して
‛のこりの半分で黙って海をみていたいのです’――吐露される言葉を歌い上げる、ブルース調の音楽。情感が自然な形で表出することを願い、ホモフォニックなテクスチュアを基調としている。
Ⅲ.海のない帆掛船/泣いたままの壁の絵
2つの句に感化され、空虚と孤独の質感に支配されるような、静的かつ内向的な音世界を目指した。組曲の中間部分にあたり、インテルメッツォ的な性格を孕む。ピアノパートにはハーモニクス奏法が終始用いられ、あらゆる響きが共鳴し、瞬間瞬間に心象が刻まれてゆく。
Ⅳ.サンゴ
少女の問いが起点となり描かれていく、一つの物語。詩の展開とシンクロするように、コントラスト豊かに音楽のシーン変化が描かれていく。中間部のアカペラに入る直前に束の間暗示されるピアノ間奏の旋律は、終盤にコラール旋律となってコーダが形成される。
Ⅴ.かなしくなったときは
修司にとって「海」とは何なのか――ひとつの帰結点のようにも感じられるこの詩を、組曲のフィナーレに置くことにした。これまでの緊張や混沌から解放され、純化・浄化されゆく章として構想したものである。
2019年12月、東京芸術劇場に響き渡った早稲田大学グリークラブによる美しい初演。透明さと深淵さは繋がっているのだということを教えてくれた、忘れ得ぬ機会となった。そして、私の友人であり尊敬する音楽家である、指揮者の相澤直人氏・ピアニストの渡辺研一郎氏のお二人に命を吹き込んでいただけたことは、作曲者として大変に幸せなことであった。此処に改めて感謝の意を表したい。